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インド家庭料理ラニ | 日記 | シェフになろうと決意するまで


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インド家庭料理ラニ

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2017/06/15

土曜日にインド料理教室を開催しております。

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9月のインド料理教室は、チキンサグとナンです。

2012/07/02

8月のインド料理教室はチキンカレーとナンです。

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シェフになろうと決意するまで (2012.07.18)

1971年私が13歳の時、父ソムナットがオートバイの事故にあいました。大事故でした。父は1年以上もの間入院していました。その時、レストラン「シアルコッティ」のシェフは祖父ゴパルダスと、叔父シャムラル(Shamlal)と父ソムナットでした。 父ソムナットが当分仕事はできないとわかった時点で、ハリオムが店を手伝うことになりました。この時、ハリオムにいろいろと仕事を教えてくれたのは、叔父のシャムラルでした。 今でも叔父シャムラルは、ハリオムの最初の先生ということから、とても尊敬しています。また祖父ゴパルダスと、父ソムナットも共にすばらしいシェフでした。 店の仕事が忙しく、私は学校へも行かれませんでした。1年後父ソムナットが退院したので、私は学校に戻りました。

1973年私が15歳の時、父ソムナットが2度目のオートバイの事故にあいました。 (インドはとても交通事故が多いのです。)父ソムナットは、再び半年間入院することになりました。 またこの年に祖父ゴパルダスが亡くなったため、私は再び店の手伝いをしなければならなくなりました。 そして、この時から私のシェフとしての人生が始まりました。私は父が退院しても、もう学校には戻らず、そのままレストランで働くことを選びました。

ハリオムが18歳になったとき、祖母マヤデビが私に私の家の歴史について話しました。シアルコットからパニパットに渡ってきた頃の話や、父や父の兄弟、祖父はもちろんのこと、曾祖父もインド料理のシェフであったことを聞きました。そして「自分もこの道で成功したい」と強く思うようになりました。

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